しばしば患者さんたちは独特の言い回しをしますが、発想が違うため自分のワーキングメモリ(短期記憶部分)でインデックス化(何かと関連付ける作業)できず記憶の宮殿に残らないのです。半日経過する頃には忘れているのが残念。だから時々診療が終わってすぐにメモをすることがある。このセリフもその一つです。
「腸に塩分が回ってくると痛みが出る」
患者さんは真剣に話しておられるのですけれど、意味の把握は難しい。
基本的に「塩」が消化管粘膜に影響するのは、胃のみです。濃い塩分の食べ物、例えば漬物ですが、胃炎を生じる事があります。浸透圧の関係で、です。胃がんのリスクにもなるほどです。
ところが十二指腸では消化液として沢山重曹(NaHCO₃)が分泌されるので、塩(NaCl)は薄まってしまい、刺激にはならなくなってしまいます。なので腸に塩が回っても痛みは起きないのです。ところで腸、とは何を指す?そしてなぜ食べたものではなく、塩と表現を?
腸には小腸と大腸があり、塩分が最初に回ってくるのは十二指腸ですから、まさに消化が始まった瞬間を意味しているのでしょうか。でもそれはご飯を食べて数分後であるわけだから、わざわざ回りくどい表現をするのだろうか。
などと意味を考えるのとは他に、余韻を残す表現で詩的だなと思ったり、アレンジして別の表現できそうかなと感心したり。
患者さんに細かく聞き返す前にさらにいろいろな可能性を考え出してしまいます。胃-結腸反射というものがあり、食べて数分後に大腸が痛くなる場合もあるわけです。これは神経の信号により痛いわけだし、あるいは本当に小腸を30分以内に食べ物が通過し不具合を起こす人もいてそれを表現しているのかもしれない。だから、、、わからないが、大腸なら大腸と言うだろうから腸の中での前半部分、十二指腸とか小腸を指す気がする。しかしこの人は便秘であり基本的に動きはゆっくりだから小腸は痛くなりにくいはずで、やっぱり大腸?わからなくなってきました。
しかし大腸だとすると「塩分」の表現は矛盾している。人間が食べた塩分は、小腸の前半までで全部吸収されるだろうし。だったらやっぱり小腸の事なのか。
などと数秒の間に沢山考えてわからず「え?もう一回良いですか?」と答えた気がします。
ちなみにうんちのナトリウム量をご存知ですか?知らない?聞いたら「あー当たり前じゃん」と思うかもしれないのですが、130mEq/Lです。自分も調べてから「当たり前じゃん」と思ったのです、うんちの味なんて想像できませんが何時間も体内にあるのだから体液と同じぐらいの塩味になるのです。
お食事をして直ちに調子が悪くなってくるのか、あるいは数時間経過してから悪くなってくるのか、典型的にはこのぐらいの経過であるというのをお教えください。
そして、あなたの症状が増悪するお食事内容があればお教えください。
そんな事を聞き、検査で悪性疾患を否定し、整腸剤を出し、すっかり良くなったのが10年前らしい。
「最近また腸に塩分が回ってくると痛みが出る」
10年前に「塩、は原因ではないと思いますよ?」と教え諭すべきだったのかもしれないのですが、その表現が素敵だな、と思ったのでそのままにしてしまったんですね。お子さんが「せなか」を「せかな」と言い間違いしていても、愛らしくてそれを直したくない、それと同じ心理だったのかな、と思います。
しかも一度詳細は聞いたので、「よくわかります」と反応してしまい、スムーズに診察してしまいました。そして今回も「塩は原因ではないと思いますよ?」とは言えなかったのです。